天国からの奇跡

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難病で余命わずかな少女アナが臨死体験のあと、病気が治った奇跡の実話です。

 

人びとの優しさの伏せんがたくさん敷かれていて、それがあとから分かるいいお話しでした。

 

天国に行ってイエス様のお膝に座ったと話すアナ。

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(実際の当時9歳のアナベル)

12歳になったアナベルは、こう語る。

「私は癒されたと信じます。なぜなら・・私がイエス様に一緒にいてもいいですかと尋ねると、『いいえ、アナベル、わたしはあなたに地上で計画を持っている。それは天国で果たせないものだ。・・・わたしがあなたを送り返す時、あなたには悪いところはなくなります。』と言われました。」

と。

 

アナは日々の激痛に耐えられず、「もう死んでイエス様と共に生きたい」と母親に漏らすくらい、イエスを信じ、慕っていた子であるから、

エス様に会えたのでしょうか。。

 

さらに、自分の「守護天使」を見たと語り、イエス様の容貌については「イエス様は美しく長い白い服を着て、肌の色は浅黒く、サンタクロースではないけど、そのような大きなひげがあった。」

と話したそうです。

 

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そういえば、

天国でイエス様をみてきた男の子コルトン君の実話『天国はほんとうにある』の映画でも同じようなことが話されていました。

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こちらの女の子アキアナちゃんは4歳の頃から天国のビジョンが降りて、6歳の頃から絵を描くようになり、天国にいるイエス様の絵を描いたそうです。コルトン君はこの絵をみて自分が会ったのは「この人だった。」と話したそうです。

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天国からの奇跡に出てくるアナベルちゃん一家

f:id:Rayns:20171125214306j:imagef:id:Rayns:20171125214311j:imageアナベルちゃんが転落して臨死体験をした木には記念に十字架が掘られましたが、一昨年台風で倒木してしまったそうです。

 

 

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映画の最後にアナベルちゃんの母親がこう語っていました。

「娘が病気になって、わけがわかりませんでした。

いったいどうして… 憐れみ深い神様が小さな子にこんな…。

私はとても絶望して、孤独だと思いました。

怒りも抱きました。

祈っても空しいだけだと、神を疑いました。

そして、そのために私は周りが見えなくなっていました。


アインシュタインが言うには、人生に道は2つ。

ひとつは、奇跡など存在しないと思う道。

もうひとつは、すべてが奇跡だと思う道です。


正直、私は今まで奇跡など存在しないと思ってきたので、
多くを見逃しました。

奇跡はどこにでもあります。

 

 

奇跡とは優しさ。奇跡とは愛です。」

 


その映像シーンにとても感動しました。

 

そして、彼女はスピーチの最後にこう言います。


「神は奇跡を通して教えてくれています。

そばにいると。」

 

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優しさや愛が

奇跡を起こしている。

 

特別な何かがなくても、誰もが持っていて

誰でもできる。

 

そんな素晴らしい能力を私たちは授かっているのですね。

感謝がまた深まりました。

 

きみが還る場所

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 1989年1月。テキサス州で妻子と幸せに暮らす牧師のドンは、大雨の日、大型トラックと正面衝突事故を起こしてしまう。一度は心臓が止まりながらも、90分後、奇跡的に息を吹き返したドンだったが、瀕死の彼と家族を待っていたのは、想像を絶する苦難だった…。

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2015年に公開されたアメリカ映画です。

ドン・パイパー牧師に起こった奇跡の実話。


生還した彼がなぜ、天国から引き戻されたのか。

痛みの中で彼が学んだこと、そして彼がみた90分間の天国とは…

 

死亡しているドンに祈りを捧げた牧師。

この祈りと賛美歌でドンは息を吹き返す。

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みていても痛々しいドンの姿…

いくら牧師さんと言えど、やはり生きる気力は無くすのだなぁと、思いました。

個人的には牧師さんだし、

神を信じて欲しかった思いがありますが、どうやらドンはそうゆうところではなく、別のところで悩んでいたみたい。

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そうゆうことか、と分かったのが、こちらのシーン。

ドンが復帰するまでドンの教会を代わりに務めてくれる老牧師さんとの対話。

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愛する人の重荷になりたくないと苦しむドン。

愛されていることは分かっているけれど、生きることが耐えられない、こんな惨めな自分をみられるより、皆にはもっと違う道があると嘆く。


老牧師は「君はもっとしっかりやれ。君は偽善者だ。」とぴしゃり。

 

老牧師は「君はみんなの愛にまったく応えていない」

「決定権は君にない。主役は君じゃない」

そして「君はこれまで牧師として、人々の役に立ってきた。寄り添い、困難を乗り越える手助けをずっとしてきた」

「だが彼らが、かつての君と同じことをしているのを拒むのか?
 彼らが贈り物をする機会を、君のほうが奪っているんだ」

 

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この言葉に私もハッとしました。

私もドンと同じく、悲劇のヒロインのときは悲嘆にくれ、

人の愛を拒絶し、

手を振り払う思考になるからです。

幸い、身近に「愛をうけとって」とこの老牧師のように諭してくれる仲間がいるので、

だいぶ素直に受け取れるようになりましたが、、、

 

ーーー

 

老牧師

「今度そのドアから誰かがやって来て、君のために何かしたいと言ったら、イエスと言うんだ。彼らに君への愛を表現させて、それを拒まないと約束してくれ」

 

「これは学びだ。これは神から君に与えられたレッスンなんだ」

 

「神は人間を用いて、私たちを助けてくださる。

 祈りに応えてくださる」

 

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いい言葉だなぁと思います。

 

練習させてくれる相手がいる。

その人が実は目の前にいて、

やってみる。

うまくいかなかったら、やめていい。

だけど、

うまくいったら…ーーそれはやる必要がある。

『神に任せて』

とゆう声が聞こえてきそうでした。

 

愛をいつも素直に受けとれたら、

人生は喜びに満ち、

愛を感じて生まれる感謝と、

また人を愛したい気持ち、

愛し愛されるエネルギーが

豊かに循環しますね。

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 映画の最後には、ご本人の実際映像が収録されていました。

私も、天国みてみたいなぁ(⸝⸝˃̶͈ ૢ ૢ˂̶͈⸝⸝)

 

神様の思し召し

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 今年の2月に公開された映画「神様の思し召し」

目に見えるものだけを信じる医師と、見えないものこそ信じる神父。

神に心臓病は治せないし、医師に人生は治せない。

真逆の立場で人を救ってきたふたりが出会って見つけた、人生の宝物とはーーー。

 

正直な話し、神様っている?と聞く主人公。

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頬をなでる「風」に神を感じ、

みていた雲が姿を変え、馬や顔や人参になって目が離せなくなる、それも神さ。

あの梨の実が落ちるのも…重力だと思うか?

そう、神の仕業だ。

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神は教会にいないのか?

 

神はそんな場所で満足するか?狭すぎるだろ?(笑)

 

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この場面が印象的でした。

 

自然に神を感じるってとっても素敵なこと。

 

神社にいる神様にたとえお参りできなくても、いつも共にあるという感覚。

それを持つと、毎日感謝だなぁと思います。

 

余談ですが、

マウンテンバイクで山登りをする私の友人も

「自然に触れると、神様っていてくれてはるんやなぁって思うで。」

と話していて、

その言葉に感動したのを覚えています。

 

確か

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ブラザーサン・シスタームーンの映画でも

「一羽の小鳥はなぜ種も撒かず、刈り入れもせず、自由に空を飛んでいるだけでしあわせに生きていけるのか、なぜ花は美しく咲いているのか…。なぜこれほど貧しき者や病んだ者たちが生きることに苦悩しているのか・・・。兄弟である太陽よ、姉妹である月よ…」

 

と自然から神に目覚めた話しをしていたなぁと、思い出しました。

 

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話を戻しまして、

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(^ ^)

イタリアンコメディで描かれていて、要所要所で笑ってしまいました。

イタリアの笑いに慣れたら、もっとリラックスして楽しめたかも。(*ฅ́˘ฅ̀*)  最初は分からなかったです。

 

神父のイエスの話しも現代風に伝えていましたね。聖書はみたことないけれど、難しそうだから、分かりやすいのはいいかも。

 

この映画の結末はみた人に委ねるカタチですが、

それは、もう。

梨の実🍐が落ちたのですから、

「神様の思し召し」

なんでしょうね。

 

神の小屋

今週のお題「私の癒やし」

 

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ついに!観てきました(⌯˃̶᷄ ⁻̫ ˂̶᷄⌯)♡

アメイジング・ジャーニー 神の小屋より

 

自分を傷つけた人をどんな風に赦していくのか、神様の愛がクリスチャンではない私にも分かりやすく描かれていて、感動しました。

 

映像も美しく

自分の心を癒す糸口もみつかりそうなストーリーです。

 

人に傷つき、自分を責め

恐れから自信がなくなり、強さを隠し

何も信じられなくなってしまったとき、

自分の心に巣食った闇を払拭させるのは、

相当、時間のかかることだと思います。

 

でも、そこに心労や時間をかけてるのもまた、自分なんですよね。

赦すことができないのではなく、「しない」だけ。その時間が必要で、「やりたい」んです。

 

「しない」のは明るい今があると信じられていないから。それくらい傷ついたとゆうことですよね。

だから、握りしめる。

それが大きければ大きいほど辛くなる。

 

赦す時間も赦さないでいる時間も

“お望みのままに”。

神はそれすらも愛しくみている存在で

私たちを信頼してくれている。

 

そんな大きな愛に無意識に甘えて、いつまでも拗ねた駄々っ子みたいに

こじらせてしまう。

ある意味それも神を信頼しているからこそできる行動だけれど、

どうせなら、ひとりひとりが神(愛)を喜ばせてあげられる信頼でありたいです。

 

それができたら、

この世から悲劇的なことはなくなるのだと思います。

 

いつも神(愛)は共にあり、疑わずにいられたら

寂しい気持ちでだれかを裁く意識を持つことなく、自分のことを好きであれば

 

本当の愛を知れるんじゃないかな。

 

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